言えない 言えないな


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今日は妹の誕生日。

妹とはだいぶ歳が離れてます。
小学校高学年のときに母がにこにこして「弟妹ができるの」と口にしたのを今も覚えてる。私は大泣きした。だけどそれは、幸せな喜びの涙じゃなくて、拒絶の涙で。必死に「嫌だ、産まないで」と泣く私を母がどんな気持ちで見てたか、今考えると苦しいね。だけど、それでも嫌だった。その時から、私の大事なものが誰かにとられることが死ぬほど嫌いだったんだろうなって思う。
私だけの大事なものが、私だけのものじゃなくなるんだって、それだけが嫌だった。
「勝手に産んだんだから、こっちが愛するのも勝手でしょう」
それが私の理論だった。
「お姉ちゃんでしょう」
その言葉が死ぬほど嫌いだった。いや、それは今もかもしれない。
そんなに年の差があって何をやってるんだって非難されるのもわかってるけど、家では今もほとんど話さない。性格も合わないっていうのも理由の中にあるのかもしれない。
仲のいい姉妹を見てると羨ましくなる。すべて私が悪いんだけど。でもね、好きになれなくてごめんって思ってるよ。私は妹が嫌いだけれど、私が妹だったらこんなお姉ちゃん嫌だと思うよ。それでもどうしても受け付けないの。ああ、それも言い訳か。

生まれてきてくれてありがとうとは、今は素直に言えない。だけど、生まれてこなければこんな感情に出会うこともなかったのかと思うと、それはありがとうって思う。

こんなお姉ちゃんでごめんね。
好きになれなくてごめんね。

いつか、好きになりたいと思う。
なれたらいいってそう思う。

お誕生日おめでとう。

褪せた色に続いていけばいい




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はじめまして。

この文章を読む人がいるのかはわからないけれど、自己満足で綴っていきたいと思います。

影響を受けやすい人間です。小さい時から、自分ではないなにかになりきることが好きでした。いや、過去じゃなくてきっと今もそうなんだと思います。そうすれば自分のことを見なくてもいいから。自分のことが嫌いだから、他の憧れる誰かになりきって、真似することでその人みたいになれた気がして。でも本当は、自分のことが嫌いな自分が好きだから、変わろうとしないんだなとも思います。そしてきっと、そんなわたしのことも全部含めて好きだと言ってくれる人を探してるんだと思います。当たり前みたいに、一番をくれる人を。わがままだね。どうしようもない人間です。

自分でもわからないような気持ちを当たり前のように言い当てられるとその人のことを盲目的に信じます。

本を読むことが好きです。言葉が好きです。自分ではうまく言葉を使えないけれど、それでも好きです。

蜜柑の名前は、わたしのもうひとつの名前です。生まれるときの候補だったときいて、その名前を使っています。これもなりきっているのかな。それでもいいか。

終わり方がわからないけれど、気持ちを書き留めたくなったときにまた書こうと思います。